遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

汚部屋と変な女と前任の主治医。

 今、私は自分の部屋が汚部屋であることに頭を抱えている。寓居は再開発に入っていて、1年半後に立ち退きが決まっているので、これは、不安要素どころではなく恐怖になっている。物が溢れているのだ。

 6畳ない部屋が2間と台所があるのだが、2間とも物が溢れ、布団1枚敷くのがやっとである。奥の方に2メートルほど物が積み上がっていて、その前に押し入れ収納ボックスが、床面積で1畳、高さ1メートル70センチほど積み上がっている。

 もともと、私は、綺麗に住んでいますねと言われていた。それが、どうしてこんな事態になったのかというと、変な女に居座られた経験が大きい。

 ある日、外出先から帰ってみると、家の鍵が壊されていた。ネットで知り合った変な女が、私が自殺しているのではないかと思ったと言って、鍵屋を呼んで壊させたそうである。

 変な女は年上の既婚者であったが、それから心配だといって我が家に居つくようになった。あとで知ったところ、夫と仲が険悪になり、自宅にいられなくなっていたようである。毎日、夫が寓居に来て、激しい口論を繰り広げていった。以前も書いたネットストーカーは、私が、その女と不倫をしていることが夫に知られて夫婦喧嘩になったなどと風説を流布していて、これも、嫌な思い出である。

 そして、変な女は私に盛んに欲しいものを買うように言った。私の当時の財政事情は、よく覚えていないのだが、親に、医療費を自分が払うからクレジットカードで建て替えておきなさいと言われ、しかし親は払わず、病院なので分割でも払えたのに一括で払ってしまったので、しぶしぶリボルビング払いにして毎月のクレジットカードの支払いにピーピー言っていた時期だったのではないかと思う。

 そこに、10万円前後のカメラやレンズなどを幾つも買った。私は小学校のころからお年玉は貰ったといえば貰ってはいたが、毎年、強制的に積み立てさせられていて、1円も使わせてもらえなかった。私はマンガ本を1冊も持っていなければ、私の家にはファミコンもビデオデッキもなかった。

 それが、生まれて初めて物を買うことを肯定された。そのことが嬉しく、色々な物を買った。今考えると、おそらく自動車1台分くらいの金額になるのではないかと思う。しかし、私は、物を買うことに喜びを感じた。

 変な女は、私に洗脳ではないが他の部屋の住人の悪口を吹き込んだり、また、当人もマンション内での喧嘩やトラブルを起こし、マンションの自治会から私の親に連絡が言ったようで、親が変な女の夫に連絡をして連れて帰らせた。

 そして私は、親に拉致されて武蔵野にある精神病院に入院させられた。そのときの診療計画書には、病状・家が汚い、目的・親に絶対服従と書かれていた。医者は親に、「親御さんの思った通りの人格にしてみせますよ」と言った。私は入院を拒否しようとしたら、任意入院ではなく医療保護入院に切り替えると言われた。

 私は、他の医者曰く「毒を盛られ」、気が狂いそうだった。その病院には同じクリニックに通っていた患者が他にもいて、入院する前は普通だったのに、廃人同様になっていた。また、任意入院なのに電話も手紙も禁じられた。

 この病院のことについては、他の機会に譲る。とにかく、退院して、家も、荷物が多いなりに、まぁ、何とか普通の生活を保っていた。そして、汚部屋が酷くなったのは、前任の主治医のときのことである。

 この前任の主治医は、私が心臓が針の筵の上で転がされている気がすると言ったらゴロゴロしたいための言い訳、心臓が痛んで夜も眠れないと言ったら夜更かししたいための言い訳と言い放った。そして、家が汚いと言っても「あなたの部屋など綺麗な方ですよ」と、見てもいないのに言った。

 そして、押し入れ収納ボックスの購入を勧めたのも、前の主治医である。「あなたの部屋の汚さは物が外に出ていることだからでしょう」と言って購入を勧めた。そして、私は購入して、実際に物が来たときには、その大きさに驚いた。

 以前の精神障害者地域支援センターの職員は、けっこう親切な人で、私の家まで見に来てくれたのだが、「部屋の中の状態も知らないのに、こんなものを買うのを勧めるなんて無責任すぎます」と言った。

 何より、それを買ってしまったことで、その奥にある物が出なくて困る。それでも一昨年、カメラを、何台ではなく40㎏、売った。30万にもならなかった。10万円で買い取られた未使用のライカM6TTL"JAPAN"は、100万円で転売されていた。

 これが、私の汚部屋と、それに関わる思いでの話である。立ち退きまで1年半、どうやって荷物を減らしたらいいのか、考えると不安どころか死にたくなる。