遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

酒を飲む理由は人それぞれ。

 今日も朝は辛かった。辛かったといっても苦痛に苛まれているのではなく、疲れているのか夏バテなのか酒が残っているのか、とにかく動くのが辛いのだ。

 今日は訪問看護が来て、先週の酒に頼らなければならなかったときは、本当にキツそうでしたものね、それに比べれば今は… 的なことを言われたと思う。

 しかし、その訪問看護も、少し前までは、その辛かった時期を、あたかも私の忍耐力がなく我が侭を言っているかのように言っていたこともあった。

 今、やっと少し健康になって、訪問看護が、これが本来の私の立場で、あれは本当に辛かったのだと認識するようになった。私に対する対応も変わった。

 

 他方、今日、1週間ぶりくらいに担当の保健師と話をした。苦しいからといって酒を飲むという選択肢は間違いと、はっきりと言われた。

 それだったら、精神状態が変わらない(低下しない)ノンアルコールビールを飲んで気分だけ飲んだ気になった方がよほど生産的だという。

 私にとっては精神状態が変わらないものを飲んだところで、それは酒を飲んだ気分にすらなれないのだが、保健師・看護師に、それを勧める人が多い。

 担当の保健師さん曰く、自分は実態を知っているから理解できるけど、知らない人は、隙あらば飲むんでしょ? と思うと思うと言う。

 

 この説には同意するのだが、そうすると、この説に反してアルコールを飲まなければならないほど辛かったと理解している訪問看護は、どう説明が付くのか。

 もっとも酒を飲まなければならないほど苦しいと理解する人は、あまりいない。少数派だから、私が苦痛を訴えても我が儘を言っているように思ったのだろうが。

 私の場合3パターンがある。酒も飲めないほど苦しい、苦しいけど酒で何とかしようと悪足搔きができる、酒なんて飲まなくて平気でいられるほど苦しさはない…。

 結局、なぜ酒を飲むのかは、人によって違うものであり、酒を飲む飲まないを、どのように解釈するのかも、また人によって違うのだ。