遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

苦痛を描く。

撮影データ
日時:2020年10月04日・17時50分
ボディ:PENTAX K-3
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDM の270㎜端
絞り:f6.3 (開放)
シャッタースピード:1/13s (Auto)
感度:ISO 6400

 


 苦しみの内容としては程度の差こそあれ昨日と同じで、今日も午前4時に大量の汗が吹き出して目覚める。それから汗がポタポタ落ちているのを自覚していて、同時に、くすぐったさとも痒さともつかない変な感覚に苛まれるが、午前7時半過ぎまで身体が動かない。

 そして、乗り物酔いと少し似ている気持ち悪さを感じる。乗り物酔いなら、それは嘔吐に直結していて、実際に戻さないまでも嘔吐えず く動作をすることで少しは楽になるのだが、私の場合、外に吐き出す動作に結び付かない。これが意外と辛い。

 また、後頭部から指の先まで吊ったように痺れる感覚が続いている。いつもとは逆を向いて寝たせいか、少しは痛みが楽で、やっぱり、緊張で力が入って、一種、寝違えたようになっているのだ。それにしても苦しいし、解決方法がない。

 他にも、目が、徹夜をしたとき以上にショボショボして目を閉じても渋い。寝ながら汗をかいても身体が動かず拭けないので襟足がただ れている。他にも苦痛は枚挙に暇がない。

 さて、今朝、区の保健師さんに電話をした。毎日、Blogを書いていると言ったら、必ず明るいトーンで終わらせるようにと言われ、ちょっと私としては受け入れられない。楽しい闘病記があったとしたら、それは誤解を増長させるものだ。

 私としては誠実にBlogを書いていきたいと思う。私にとって誠実にBlogを書くということは、100の苦しみを100として書くことを目的として、苦しさを描き切り、そして、それが大袈裟にもならないようにすることだ。

 末期癌の患者だって痛みがあるのに楽しみを見付けているとも言われたが、私は病気のデパートのような人で何回も救急搬送されたことがあるけれど、今の苦痛は激痛が走るよりも辛いし、ハッキリ言って痛みと苦しみは比較できない別物である。

 精神の不調は楽しいことをしようという気分に大きく作用する。例えば頭痛がするから味覚が変わるということは少ないが(頭痛も酷くなると気分の変調を来す)、例えば今の私には味覚がないし、嗅覚も衰えている。

 無理して楽しいことを探そうとするのだが、しょせん“無理して”なのだ。昨日、例えばPCを見たり家の前に停まっている車を見たりしたが、ほとんど読まれていないことが左証のように、無理があり苦し紛れのものだ。

 無理して明るくなどとは考えず、今ある苦しさを、そのまま表現していきたいと思う。Facebookで死ぬほど苦しいと書いただけで自殺を仄めかしているといって文句を付けてきた人がいたが、そういう人は、他人の痛みを理解しようとせず、心の深淵には辿り着けない。

 

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