遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

訪問看護に苦痛を悟られる。

撮影データ
日時:2020年11月14日17時20分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの190mm域
絞り:f6.3(Auto)
シャッタースピード:1/15s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)


 今日も起き上がったのは日没過ぎ。どこにも行けないので写真は相変わらず自分のデスクから見た東京タワー。今日は訪問看護が来た。私が担当者と呼んでいる月曜日の看護師さんだ。

 先週の金曜日の看護師さんのことについては話した。緊急の電話に架けてくるなと言われたが苦しくて連絡先が調べられないこと。それは即ち通常の電話とは言えないと思えること。苦しいと言っているのにInstagramのフォローについてなどを話すのは止めて欲しいこと。それこそ緊急ではないのだからInstagramのメッセージ機能を使って欲しいこと。

 今日の看護師さんは無言になって、また何か圧力を掛けたいのかなと思ったが、しばらくして、それ以外にご要望はありませんかと言う。ご要望も何も…。この人、社内的には偉い人なのか、社員のことばかり考えている気がする。今日も、それでは店舗の代表番号に架けられないようでしたら私の電話に… と言うが、今も自分の電話に架けてきても良いですよと言っているし、会社的にも、ひとりで抱えてしまって大丈夫かと思う。

 買い物に同行してくれるというので歩いて5分しないスーパーマーケットに買い物に行った。ちょっと無理をしたなという感があるが、飲むものがない(食べ物はコンビニで買っているが、飲み物などは価格が1.5倍も違うので、さすがにコンビニでは買えない)ので、行けるときに行かないと。

 途中、会話がなくなった。私が話す余裕がなかったのか、ちょっとその辺は覚えていないのだが、なんか看護師さんを案じさせてしまったようで、無理に誘ってしまったかもしれないと心配していると言われた。

 そして、やはりプロだなと思ったのは、脈拍数も上がっていると思いますから横になって休んでくださいと言われ、自分では意識しなかったのだが、Fitbitスマートウォッチを見たら138。言われればそうかもという自覚すらないのに、凄いな、判るんだ…。

 そして横になるが、やはり気分が回復せず、午後5時過ぎまで起きられなかった。よって、もう、寝る時間が迫っている。そのような訳で、今日は、あまり主義主張がある内容は書けない。〆て十階の身の上、みたいな口調になってしまった。

 ちなみにプライベートの話をすると、空き家になった実家の植木の伐採を友人の弁護士に依頼しているのだが、業者の選定が終わって幾ら幾ら掛かるという話は聞いたのに、今日になって実家の隣家から無事に終わりましたと礼のSMSが入った。金を払っていないのに、どうなっているのか。

 それと関連して思ったのだが、私は妻子もいないし兄弟も従兄弟も叔父叔母もいないのだが、先週の土曜日に行った床屋さんも奥さん亡き後は弟さんと連絡を取っているというし、そういう係累がいないことによるディスアドバンテージみたいなものをヒシヒシと感じる。

 今日の命の危機は65%。生死うんぬんより苦しさが激しい。

 

P.S. 昔のBlogの読者の方が書いてくださったnoteの記事が、なぜかコピペして残っていたので読んで泣いている。この方も、投稿みならずnoteだけでなくTwitterのアカウントも消して去ってしまった。どうして、私はいつも、こうなるのだろう。

 無断引用になるが、これを読んで私だと気づいてくれると良いな。私のことを「誠実で努力家で聡明」と最大級に褒めてくださっているが、私のBlogの読者は優しさと聡明さを兼ね揃えた方が多いので筆者が救われている。

 蛇足ながら書かせてもらうと、私は言葉にできるから聡明みたいな褒め方をされるが、聡明というのは、立て板に水のように頭が働くということだけではない。このタイミングで、この言葉を掛けるというのがピタッと来るとき、やはり、その人は聡明だと思う。

 だからこそ、それを馬鹿にするネットストーカーが許せないのだ。ちなみにネットストーカーは、この方の私への賛辞をわざわざ本人曰く誹謗中傷のための文章のタイトルに論って馬鹿にしたことがある。

「グリーフワーク」
(素敵なペンネームなのですが名前は伏せます、いや、書いた方が良いのか?)
2019/02/18 00:33

「自分を愛する」と決意しても簡単には自分の現状を肯定できなくてその難しさにつまずく。
悪い記憶ばかり芋づるのように浮かんで誰にも受け取られず脅迫感や不安の嵐に押しつぶされる。
何の解決にもならなくて自分を責めてしまう。
逆戻りしてるんじゃないか、前の自分の方がもっとちゃんとしてた!と、焦ってしまう…
私自身はこういう経験がありますが、同じ感じですかね…
でも、この自分を鉄条網で縛り上げる思考に反して、そうせざるを得なかった理由が次から次に出てくるって、それだけ苦しかったんですから当然だと思います。あと、実は自分を愛する決意がうまくいったからこそ溢れ出てきた気持ちだったりするようです。
その感情こそが私がざっくり「命」と呼んでるものですが、自分を愛する作業はそこからが重要です。
その感情を適切に受けとってもらえたいう実感がなければその渇望はやまないし、命は次に進む道を失うんですよね。
誰が受け取るって、最終的には自分が受け取る事が必要なんですが、1人では難しいと思いますし、「シュリンク」や、仲間の支えが大切なんじゃないかと思います。
私は読者であり続けます。
うまく受け取ったり返答する能力は私にはないし、医療者とかそういうのじゃないから適切ではないところもあると思いますが、友達として読者として、何度でも読みますから何度でも書いて下さい。
「自分に対する裏切り」という言葉は、その苦しかった 悔しかった感情が湧き上がる事や身体が動かせない現状や買ってしまう渇望を、否定したり押し込めたり責めたりする事ですよね。
書けないとか起きれないとかではないです。
それらの命無くしてYさんはあり得ないのですから。
目一杯抱きしめ、嘆いてあげて下さい。グリーフワークという作業だったと思います。
最初はぎこちなくても、何度でも何度でも繰り返し、自分の思いを噛みしめる。そして書く。読んでもらう。
実はこの作業、これでもかってほど続くんですけどね。でもせっかく生きてきたこれまでの時間、これからの時間。良い方向に進み続けてほしいです。
私は精神がどん底の人と友達になると決める時に決意してることがあります。
嫌われたりトラブルになってしまっても、その人が生きてさえいればいい。
そういうつもりで友達になるんだと。
ご自分を1番大切にしてくれたら良いのです。それが読者の私への誠意だと思って下さい。
長々と一方的に書きましたけど、誠実で努力家で聡明なライターさんが、自分の心が納得する方向へ進んでいく姿を、これからも見させて下さればと思います。

 

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